東京高等裁判所 平成元年(行ケ)73号 判決
一 請求の原因一、二の事実並びに本願意匠と引用意匠とが、本件審決認定のとおり意匠に係る物品が共通し、本件審決認定の共通点及び差異点を有することは、当事者間に争いがない。
そして、本願意匠及び引用意匠の各形態を示したものであることが当事者間に争いがない別紙第一及び別紙第二並びにいずれも原本の存在及び成立に争いのない甲第二号証(本願願書)及び同第三号証(引用意匠にかかる願書)によれば、本願意匠と引用意匠とは、右差異点のほかに、原告の主張する差異点、即ち、本願意匠は、平面中央部付近に存する肉厚部頂点から爪先にかけて中央隆起稜線を形成し、爪革挿入部との接線をも横断隆起稜線となし、これらによりT字状の明瞭な隆起稜線を表し、側面視が三本の直線で構成される三角状の山形を表しているのに対し、引用意匠はこれらの形態を有しないという点で差異があることが認められ、これに反する証拠はない。もつとも、成立に争いのない乙第二号証(「製図における図形の表し方JIS Z8316」)によれば、日本工業規格上、二つの面の「交わり部に丸みがある場合実線で表す」と規定されていることが認められるが、意匠実務上、実線は記載していないのが通例であることは被告の認めるところであり、また、成立に争いのない乙第一号証の一(意匠公報第二七四三一八号)、同号証の二(意匠公報第四九九一七二号)、同号証の三(意匠公報第五四五四三九号)によれば、二つの面の交わり部に実線が記載されている例があること、しかしそれらは、図面上、いずれも、二つの面の交わり部に丸みがあることが明らかであることが認められ、これに対し、本願意匠においては、図面上、二つの面の交わり部である隆起稜線部分に丸みがあることが明らかであるとはいえないのであるから、これら乙号各証は前記認定を妨げるものではない。
二 ところで、本件口頭弁論の全趣旨によれば、琴の爪の需要者は箏の演奏者であると認められるところ、琴の爪と爪革とは、別体として取引されるものであることは当事者間に争いがないから、琴の爪の需要者は、琴の爪を爪革を付さない状態で観察する場合があるものと認めるのが相当である。したがつて、本願意匠と引用意匠の類否判断を支配する主要部は、爪革を付さない状態において目に触れる部分の態様にあると解すべきであるから、これとは異り、同主要部は爪革を付した状態において専ら目に触れる部分の態様にあるとする被告の主張は採用できない。
三 そこで、前記共通点と差異点を総合し、本願意匠と引用意匠を、爪革を付さない状態で、全体として対比観察すると、なるほど、本件審決認定の共通点殊に、先端部を左右対称の円弧が交差した態様に尖らせた点、及び接弦面縦中央を山の尾根状に隆起して形成した点を中心とした態様は、成立に争いのない乙第三号証(白水社発行の「日本芸能セミナー箏三味線音楽」六六頁、第五号証(講談社発行の「生田流の箏曲」二二六頁ないし二二八頁により認められるように、従来の丸爪(山田流爪)あるいは角爪(生田流爪)いずれの態様にもみられない独特のものであつて、看者の注意を惹く部分であることは、本件審決指摘のとおりであるということができる。しかしながら、右共通点があるにもかかわらず、なお、本願意匠と引用意匠との間に存する差異点が看者にとつて強く印象づけられ、両意匠が別異な印象を与えるときは、両意匠は別異の意匠と認めるべきものである。
そこで、判断するに、本願意匠が前記T字状の明瞭な隆起稜線を表し、側面視が三本の直線で構成される三角状の山形を表し、背面視の接指面を平坦状とした構成により鋭く硬い印象を与えるものとした点は、引用意匠が、接指面の前半部を傾斜面状とし後半部の尾根部の高さを同じくした水平状のものとし、尾根部を接弦面前半部には形成しておらず滑らかな弧面状とし、接指面に沿つて凹面状にえぐつている構成により花弁状を呈しやわらかい印象を与えるものとした点と顕著に異なる点であり、前示共通点を超えて、看者に別異の印象を与える差異となつていることが認められる。本願意匠の接指面の平坦状の態様が従来より知られたものであることは原告の明らかに争わないところであるが、このことは、右認定判断を妨げるものではない。
以上の認定判断を総合すると、本願意匠と引用意匠とは、本件審決認定の共通点で共通するものではあるけれども、前記の差異により、全体として看者に異なる美感を与える別異の意匠と認めるのが相当である。
したがつて、両意匠を類似するものとした本件審決の判断は誤りといわなければならず、類似することを理由に意匠登録を受けられないとした本件審決は違法なものとして取消を免れない。
四 以上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法があることを理由に本件審決の取消を求める原告らの本訴請求は、理由があるのでこれを認容する。
〔編注1〕本件における特許庁における手続の経緯及び審決の理由の要点は左のとおりである。
一 原告らは、昭和五三年五月四日、意匠に係る物品を「琴の爪」とし、形態を別紙第一に示すとおりとした意匠(以下、「本願意匠」という。)につき意匠登録出願をした(同年意匠登録願第一八一〇四号)が、昭和五五年一〇月二二日に拒絶査定がされたので、昭和五六年一月一六日、これに対し審判の請求をした。特許庁は、同請求を、同庁同年審判第一四八九号事件として審理した上、平成元年一月一〇日、「本件審判の請求は、成り立たない。との審決をし、その謄本は、同年三月一日原告らに送達された。
二 本件審決の理由の要点
1 本願意匠の出願日、意匠に係る物品、意匠の形態は、前項に記載されたとおりである。
2 これに対して、昭和五〇年意匠登録願第二六九五二号(昭和五〇年六月二四日出願。昭和五三年五月三一日付で拒絶査定がなされ、その後査定が確定した。)に係る意匠(以下、「引用意匠」という。)であつて、願書の記載及び願書添付の図面によれば、意匠に係る物品を「琴の爪」とし、形態を別紙第二に示すとおりとしたものである。
3 そこで、両意匠を比較すると、両者は、意匠に係る物品が共通し、形態については以下のような共通点、差異点がみられる。
即ち、基本形状を平面視略木の葉形の板体とし、接弦面は周縁を薄く中心部になるにつれ厚く、縦中央を山の尾根状に隆起して形成したものであつて、爪の根元部付近は爪革挿入部として接弦面側の周縁が薄くなるよう傾斜面状とした基本的構成態様、及び各部の具体的態様において、先端部を左右対称の円弧が交差した態様に尖らせている点、接弦面尾根部左右の傾斜面を僅かに凸弧面状とした点が共通しているものである。
一方、両意匠は各部の具体的態様において、接弦面の隆起の態様につき、本願の意匠が爪革挿入部との接線が最高地点となるよう側面視三角形状としているのに対し、引用意匠は、前半部を傾斜面状とし後半部の尾根部の高さを同じくした水平状のものとした点、尾根部につき、本願意匠が接弦面全長にわたつて形成しているのに対し、引用意匠は接弦面前半部には形成しておらず滑らかな弧面状を呈している点、接指面につき、本願の意匠が平坦状としているのに対し、引用意匠は接弦面に沿つて凹面状にえぐつている点、その他爪革挿入部につき、本願意匠が全長の略三分の一の長さとし根元部を円弧状としているのに対し、引用意匠は全長の略九分の一とし根元部を角状としている点に差異がみられる。
4 右の共通点、差異点を総合し、両意匠の類否を全体として考察すると、両意匠が共通するとした基本的構成態様及び各部の具体的態様のうち、とりわけ先端部を左右対称の円弧が交差した態様に尖らせた点、及び接弦面縦中央を山の尾根状に隆起して形成した点を中心とした態様は、従来の丸爪(山田流爪)あるいは角爪(生田流爪)のいずれの態様にもみられない独特のものであつて、両意匠の形態の基調を形成するとともに看者の注意を最も強く惹く部分であるから類否判断を支配する主要部と認められる。
これに反して、具体的態様における差異点のうち、側面よりみた接弦面の隆起の態様及び尾根部についての差異は、両意匠間における最も大きな差異点ではあるが、本願意匠の尾根部も実際には図面で表わされた程に稜線が明確に表れてくるものとは認められず、側面よりみた尾根部の隆起態様もこの程度の差異では、いまだ前記の共通する基調あるいは特徴を変更するまでに至らない差異である。また、接指面及び爪革挿入部についての差異は、いずれも本願意匠の態様が従来より普通に知られたものであつて、本願意匠のみの特徴といいうるものではなく、加えて、爪革挿入部の態様については、爪革に隠れてしまう部分であつて爪本来の意匠創作上の主要部ではない点を考慮すれば、この程度の差異は部分的なものといわざるをえず、いずれの差異点も類否判断に影響するものとは認められない。
5 以上のとおり、両意匠は、意匠に係る物品が共通し、類否判断の主要部において共通するものであるから、前記差異があつたとしても全体として類似するものというほかはない。
6 したがつて、本願意匠は、意匠法九条一項に規定する最先の意匠登録出願人に係る意匠に該当しないから、意匠登録を受けることができない。
〔編注2〕本件における別紙は左のとおりである。
別紙第一 本願の意匠
意匠に係る物品 琴の爪
説明 左右両側面図は対称
<省略>
<省略>
別紙第二 引用の意匠
意匠に係る物品 琴の爪
説明 背面図は正面図と対称にあらわれる。
<省略>